料理が好きだった子ども時代が貝印との出会いにつながった
両親が共働きだったので、子どもの頃は祖父母の家に頻繁に行っていました。
学校が終わると、平日は母方の実家と父方の実家に交互に帰り、土日は自分の家、という風にまるで家が3つあるみたいな生活をしていました。
父方の祖母はとても優しく、一緒に出掛けたり、料理を手伝ったり、自由に過ごしていました。実は、このときによく料理をしていたことが、後に貝印との出会いに繋がっていきます。
母方の実家は祖父がとても厳しい人で、持ち物や服装に気をつけなくてはなりませんでした。ゲームをするよりも、お絵かきや折り紙、祖母の趣味がガーデニングだったこともあり庭先で遊んだりしていました。
音楽がとても好きだった母の影響もあって、幼少期から音楽系の習い事をさせてもらっていました。特に、4歳から習っているチェロの演奏は、今でも続けています。
いろいろな人と関わりあいながらのものづくりの現場に憧れる
子どもの頃に憧れていたのは安定した仕事でした。両親ともに教師だったことも影響していたと思います。
しかし、一方で、両親とは別の職につきたいという反発心もありました。公務員イコール安定という意識のなかで、私が憧れたのは警察官。それも鑑識の仕事でした。高校生の頃、化学の勉強についていけなくてとても鑑識は無理だと悟り、やがてものづくりに興味を覚えるようになっていきました。
私はチェロの演奏も好きですが、楽器屋さんでチェロの作られていく工程を見たりすることも好きでした。そこで、楽器を守るケースに着目し、大学は工学部の材料科学科に進学しました。
大学では、オーケストラのサークルに所属し、理系・文系問わず、いろいろなタイプの人と関わることができました。その経験から、大きな組織に入ってみんなでいろんなことに取り組む、ということに喜びを覚えていったのです。
やがて就職活動を迎え、私のなかで、いろんな人に関わることのできる組織でものづくりがしたい、それも、企画・立案から製造・販売までを行えるような大きな会社で働きたい、という気持ちが芽生えていきました。
貝印を第一志望にさせたのは
一丁の包丁がきっかけ
初めて一人暮らしを始め、自炊をするため料理道具を揃えたときに選んだ包丁が貝印のものでした。
料理好きの私にとって、包丁は特にこだわりたい道具のひとつでした。貝印の包丁は、当時学生だった私に手の届く価格帯でも驚くほどよく切れるものでした。当時から「貝印って、すごい会社だな」と思っていたのをよく覚えています。
そんな私が就職活動を始めるときに、貝印を第一志望としたのは、本当に自然の流れでした。企画、立案、製造、販売まで行なう大きな組織でものづくり、という私の希望をすべて兼ね備えた企業だったからです。
東京で行われた会社説明会に参加した際は、オフィスもとてもきれいで、社員の方々のスムーズな対応を目の当たりにして、ちょっと私には敷居が高いかな、と感じました。
しかし、いざ面接に進むと、私の拙い話にも真剣に耳を傾けてくださったり、フランクに話しかけて緊張を解きほぐしてくださったり、とてもありがたかったのを覚えています。緊張していて何を話したのかはほとんど覚えていませんし、「これならいける!」という手応えを感じることもありませんでしたが、内定をいただけたときは、本当にうれしかったです。