KAI FACT magazine
HISTORY OF KAI vol.11
FACT  No.12

「カイKⅡ」で業界に
一石を投じる。

二代目は〝遠藤斉治朗〟の名を継いだが、三代目・遠藤宏治は今も〝斉治朗〟を襲名していない。それには理由がある。初代、二代目ともに関の商工会議所会頭を務めるなど地域経済に貢献してきたが、グループ全体を考えると、地元との結びつきだけでない広い視野を持つ必要がある。また就任当時、地域からの期待や影響力まで継ぐような域には達していないという考えが宏治にはあった。先代が唯一、入院中の病院で遺した言葉がある。事業経営の話の中で「何事も人の気持ちを考えて按配よくやらなければならない。だから社長に就いた後、3年間は何もするな」というものだ。その教えを守り、宏治は1992年までの3年、大きな変革を伴うような動きはせず、その間は主に社内事情を見極める姿勢を貫いた。それが可能だったのは、先代が残した素晴らしい人材という遺産があったからだ。

もちろん、ただ何もしなかった訳ではない。その頃の宏治の仕事に、1989年に発売された「カイKⅡ」がある。貝印の男性用カミソリで初めて大々的にTVCMを打って発売されたこの商品は、パッケージングされた5個の替刃を使い切ってホルダーと一緒に捨てるというもの。これが使い捨てタイプを謳いながらも、替刃タイプとも捉えられる商品で業界をざわつかせた。当時、貝印は軽便(使い捨て)カミソリを、フェザーは替刃タイプのカミソリを作るという暗黙の棲み分けがあり、これに論議を投げかける商品となったのだ。ただし初期の「カイKⅡ」は、フェザーでの替刃タイプの優れた新商品の開発を期待し、別売りの替刃は出さず、あくまで使い捨てとしての形態を貫いた。そして今でも根強いファンを持つロングライフ商品となっている。

また同じ頃、宏治は将来を見越し、経営分析をコンサルティング会社に依頼。抱えている問題意識を自分の口から伝えるのでなく、厚さ3センチ余りの2冊にわたる分厚い「KAIグループ経営総合診断書」を利用して伝え、社員の意識改革を図った。中期的将来に訪れるであろうと診断された問題には、売上の伸び率の鈍化、グループの人材開発の遅れ、システムの未整備、商品イメージの高揚不足などがあった。それぞれの問題に対して具体的な行動を起こすため、宏治は1991年、「NK−G500(NEW:新生、KAI:貝印、GROWTH:発展、500億へ向かって)」キャンペーンを始動。年間売上も5年で約2倍の500億円とする目標を掲げた。その成果は、何を実行するにも計画や目標を立て、それを時々でチェックしながら進める方法が社内に浸透したことだった。先代の開拓精神を受け継ぎながら、宏治は独自のやり方で最良の働き方を社員全員に伝えたのだ。


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