KAI FACT magazine
HISTORY OF KAI vol.2
FACT  No.03


身だしなみの革命!?
国産替刃の製造開始

 日本人はいつからきちんと髭を剃る習慣が身に付いたのか? その歴史は江戸時代にまで遡る。武将の象徴だった大髭を真っ先に剃ったのは、身分の高い武士たちだ。戦国時代が終わった天下泰平の世で、権力を誇示するいかめしい髭は一転して野蛮なものになる。己の存在理由を失いかけた髭の武士が〝かぶき者〟となり世を荒らしたことから、幕府が髭を禁止した令も出されたほど。以降、髭をきちんと剃ることは身だしなみとしても大切なこととなり、高性能のカミソリが必要とされるようになった。
 髭剃りと貝印の歴史には、切っても切れない関係がある。昭和の初め、まだ洋装が珍しかった時代。「モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)」が大流行し、当時のアメリカ俳優のようにキメた「モボ」たちが東京の街を闊歩した。彼らが好んだのが、髭なしスタイル。1931年の満州事変で長い不況が続いていた同じ頃「ナイフは売れないが安全カミソリの替刃はよく売れる」と耳にした初代・遠藤斉治朗は、日本初の国産の安全カミソリの替刃製造に取り組み、1932年に見事に完成させる。主流だった輸入品よりも安価な貝印製は、髭剃りブームの追い風もあって売れに売れた。わずか20名足らずだった貝印の従業員数や、それまでの工場の敷地の広さを、10年で一気に15倍にまで成長させるほどに。
 しかし、その道程は平坦ではなかった。そもそも斉治朗は替刃の材料も、製造現場も見たことがなかったのだ! が、替刃製造への熱意だけで機械の使い方も分からぬままドイツ製の機械で試作と失敗を繰り返し、不眠不休で無給の日々のなか、8ヶ月の試行錯誤の末、ついに3つ穴式カミソリ替刃を発売。3〜4年は問屋やデパートの店名入りの受託製造だったが、やがて羽印をトレードマークに「フェザー」の商標を取得した。替刃事業が軌道に乗り始めたのは新会社、日本セーフティレーザ株式会社を設立した1936年頃。翌年の1937年には、日中戦争が勃発し、社名も和訳の「日本安全剃刀株式会社」に。戦時下で生産活動が低下するなか、意外なことに替刃の売上は急速に伸びた。海外メーカー品の輸入が減り、戦地の必需品として輸出が増大したことが要因だ。また戦地への慰問袋に安全カミソリが入れられたことから、兵隊たちにもその良さを広める結果となった。
 威圧的だった髭を美しく剃るために開発された髭剃り。だがますます進化するその性能のおかげで、いまやただ全ての髭を剃るだけでなく、お洒落のために髭をデザインして剃り、髭を楽しむということにまで使われている。日本におけるカミソリ替刃の製造開始は、刃物というともすれば危険をも伴う道具を、衛生的で身近な日用品にした第一歩と言えるのではないだろうか。

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