包丁を知る包丁の歴史

国内で包丁生産シェア50%を占める関市。
そこには、独自の発展経緯を持つ包丁の歴史がありました。
包丁の歴史について
包丁に日本刀の製造技術が大きく関わっているように、包丁の生産地もまた日本刀の生産地と深いつながりを持っています。戦国・桃山時代までの日本刀は主に、備前=岡山、相州=神奈川、山城=京都、大和=奈良、美濃=岐阜の5地方で製造されていました。しかし、江戸時代を迎えると日本刀の需要は激減し、包丁や農業用刃物(鎌、ノコギリ、ナタなど)の需要を求め、地方に広がっていくこととなったのです。
日本一の生産を誇る関市で刃物づくりが行われるようになったのは、それよりも前の鎌倉時代。良質な土と松炭を求め、刀匠が移り住んで刀鍛冶を始めたのがその最初と言われています。関鍛冶には多くの名匠がいましたが、特に関孫六兼元はひときわ優れた刀匠として知られ、「三本杉の乱れ焼き」という独特の焼き入れによって名刀「関孫六」の名を一躍世にとどろかせました。江戸時代に刀の需要が落ち込んでからは、その技術を包丁、小刀、ハサミなど家庭用の刃物に生かし、今日に至ります。明治時代にナイフの輸出で世界への扉を開いてからは、食卓用刃物、ナイフ、ハサミ、包丁、カミソリなどさまざまな製品の輸出もしています。
包丁の産地について
現在、日本で包丁を生産している主だった産地は、新潟県三条市・燕市、岐阜県関市、福井県越前市、大阪府堺市、兵庫県三木市、島根県安来市、高知県香美市などです。いずれも打刃物(※1)で発展してきた地域で、伝統工芸品として指定されている製品が多くあります。中でも岐阜県南部、長良川の中流域に位置する関市は貝印創業の地であり、全国一の刃物生産を誇っています。
※1 鉄と鋼を打って、鍛えて作り出す刃物のこと。
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